私が退職を決めた道のり

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「仕事辞めたいけど履歴書とか面接とか面倒くさいな

「転職した次の職場が今以上に最悪のところだったらどうしよう…」

「こんな毎日を定年まで続けるのか…」

など看護師として働いていると時々退職や転職の文字が頭をよぎりませんか?

私は7年目の初夏に約6年間勤めていた大学病院を退職しました。

私は人間関係が最悪な病棟も2年目まで経験していたため、「今以上に最悪な職場だったらどうしよう」と思い、なかなか転職に踏み切れませんでした。

転職先を決めてから内定まではスムーズだったものの、転職先を決めるまでが道のりが長かったですね…。

本記事では私が退職を考え始めた時から退職までの道のりについてお伝えします。看護師さんで退職・転職を考えている方、看護学生さんなど、この記事を参考にしていただければ幸いです。

ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

転職したいけどそれまでが面倒くさい

毎日仕事をしていると「辞めたい」と思うことはたくさんありますよね。

業務の多忙さや人間関係、モチベーションなど、私は看護師5年目で「辞めたいなー」と思うようになりました。

4年目まではなんだかんだ頑張れていたものの、5年目以降になるとリーダーや臨床指導者、委員会、看護研究など責任も重くなっていき、給料に反映されない「仕事」が増えていきました。

私は退職するなら

  • 次の職場を決めてから退職
  • 今不満に思っていることが解消されるような職場
  • 長期に勤務できそうかどうか
  • やりたいことができる、やりがいを持って働けそうか

をポイントに転職活動しました。

大学病院の病棟は20代が多く、その次に産休や育休で戻ってくる30代数人、40代のベテラン少人数ってところでした。他の病棟より人間関係が良く、給料や福利厚生も他の友人より良かったため、「よっぽどのことがない限り辞められないな~」と思っていました。

実際に私も不満は大いにあるけれど、転職活動って面倒くさいし、人間関係も良くて給料もまずまず良い。しかもある程度自分の立ち位置が決まっていて働きやすいということで転職はもう少しあとでいいか~と思っているうちに転職したい欲が消えていき、またしばらくすると転職したい欲が出てくるの繰り返しをしていました。

そこで今回は「辞めたい」から「辞める!」に至った経緯を書いていこうと思います。

退職を決めるまでの道のり

私が退職を決めるまでの道のりは以下のとおりです。今回は退職につながる一部をお伝えします。

  • 忙しすぎて身も心も削る毎日
  • リーダー業務を通して
  • 退職を決めたきっかけ

それでは具体的にお伝えしていきますね。

忙しすぎて身も心も削る毎日

私は消化器外科と泌尿器科の病棟で勤務しており、外科と泌尿器科では主に術前・術後の看護や化学療法の治療を。泌尿器科では腎盂腎炎などの内科的治療や終末期の看護をしておりました。

急性期の病棟であったため、ほぼ毎日臨時入院が入ります。胆嚢炎や虫垂炎、穿孔などの臨時手術の入院や、腎盂腎炎や敗血症、食欲不振などの内科的入院も多く来ます。日勤ではDrの指示を受け、受け持ちに指示を出すリーダーの他に、入院患者を状態やイベントなどを考慮して2~5人ほど受け持ち、看護やケアをする“受け持ち”が数名います。

私の病棟は総数45名程度であったため、一人2~5名の患者を受け持ち点滴や清潔ケア、手術の術前・術後の看護を提供します。新人さんが自立する夏頃までは受け持ちの看護師が新人さんの受け持っている患者情報も把握し、抜けやミスがないかフォローする必要があり、自分の業務と並行して新人フォローもしなければなりません。

業務だけする分には問題ないのですが、記録もしなければなりません。記録には日々の検温の入力の他に、術前・術後、抗がん剤の副作用の有無などや、患者の状態を事細かに記載する【SOAP】という文章も書く必要があります。その他に使用した物品のコストを入力したり、本日の病棟のケア度が反映される必要度というものも入力しなければなりません。

そんな多忙の中、臨時入院が来るとリーダーは受け持ち看護師に入院を取るよう指示を出し、受け持ち看護師は優先度が低い業務を後回しにして入院を取らなければなりません。

看護師の方は分かると思いますが、入院が来るということは、その内容によって忙しさが違います。

全例として、入院時の書類捌き、入力、患者と家族からの情報収集、家族対応をします。それと平行して患者の処置の介助や術前の準備をし、他の患者からのナースコールや受け持ち患者の点滴や処置、ケアも同時にしなくてはなりません。

常に頭はフル回転で走り回ってますね。笑

だから大学病院の急性期病棟は若くて体力がある20代や30代が多いのではないでしょうか…。

安全に業務をするには記録は後回しになります…。そうすると定時を過ぎてようやく座って記録につけるので残業も毎日少なくても1時間はすることになります。

記録をしながら、寝たきり患者の頭を洗ってあげたかったのに、垢まみれになっている手を手浴してあげたかったなど思い残すことが多くありました。

業務を終える頃には足の浮腫と頭痛、疲労でへろへろです…

看護師になって慢性腰痛や偏頭痛、肩こりや足の静脈瘤もできてしまいました。泣

リーダー業務を通して

私が「辞めてやる!!」と思うようになったのは、一昨年の夏ですね。コロナ真っ最中で常時N95装着し、空調がしっかり効かない病棟で毎日汗をかき業務しておりました。本当は3年目でリーダーするはずだったのですが、異動やらコロナ騒動で先延ばしになり、5年目でようやくリーダー業務が回ってきました。

リーダー業務は1日中パソコンとにらめっこで自分のチームの患者の状態把握、点滴や薬のオーダーはあるか、Drが点滴や薬の指示を出せば、それをパソコン上で指示受けして受け持ち看護師に指示を出します。その他にも業務はたくさんあります。

リーダーは指示受け・指示出しの他に多職種と連携し、退院支援をする役割もあります。

退院支援とは、患者や家族の意向を汲み取り、家に帰りたいのか、施設に行くのか、病院に転院するのかを、医師の他に理学療法士や栄養士、在宅と病棟をつなぐ連携室の看護師などとカンファレンスします。

病院にいるのになぜ転院する必要があるの?と思う方もいると思います。

大学病院は急性期病院であったため、救急車で来る患者や、状態が悪い患者も多くきます。

治療が済んだら、次に来るであろう患者のためにベッドを空けなければなりません。

そこで連携室の看護師さんたちと協力して退院調整する必要があります。

退院支援をする上で、患者と家族の意向が違かったり、経済的問題やコロナで支援が進まなかったりと苦労しましたが、退院する患者を見るとやりがいが持てました。

連携室の看護師さんは数名在籍しており、病棟ごとに担当者が割当たっています。そこで私の退職に大きく関わる看護師Aさんと出会いました。

退職を決めたきっかけ

毎日忙しい業務の中で、退職を決めるきっかけがありました。

泌尿器科の癌の末期で入院していた患者Bの出来事を紹介します。

Bさんは癌が進んだ状態で他の病院から転院してきました。転院時は癌の影響で痛みが強く、麻薬の点滴を24時間していましたが、痛みが強く、何度も追加で痛み止めを使用しないと眠れないほどでした。

痛みのせいで好きに動けず、イライラし看護師に当たることもしばしばありました。

Bさんは手術をして人工肛門を作りましたが、その後すぐ再発し、合併症も併発して入院期間が長くなっていきました。そのうちBさんは5種類もの持続点滴が必要となり、寝たきりで自宅には到底帰れない様子でした。

さらにBさんは家族とも不仲であり、退院したら離婚する予定ということもあり、Bさんの支えはなく入院してきた当初から無表情で笑った顔は見たことがありません。

洗濯物は届けにけてくれるものの、面会は断固拒否で帰っていく妻…。若いときに色々あったようですが、看護師としてBさんをみているととてもつらかったです。

常にひとりぼっちで頑張っていたんですよね。

いよいよ状態的にも長くないと判断され、医師から本人と家族に余命を宣告され、Bさんは自宅退院を希望しました。可哀想に思ったのか、妻は「本人が望むなら」と自宅退院の意向を示しました。しかし問題は自宅で介護や点滴の交換など誰が行うかでした。

もちろんBさんには不可能であり、妻も自宅退院を許可したのは余命が残りわずかだからということで介護などは積極的ではありません。妻は険しい表情でした。

そこで連携室の看護師さんAさんと私達は訪問看護が必要と判断し、さっそくその調整に移りました。

退院支援を進め、ある程度退院の目処がついてから、退院前カンファレンスを医師、妻、訪問看護師、ケアマネ、連携室の看護師、病棟のリーダーを集めて実施しました。

医師の説明を聞いても、他人事で興味なさげな妻。本当に在宅で介護できる??と思いました。

その日まで、妻はBさんとの面会は断固拒否していましたが

「退院前に今の状態を見ていたほうがいい。入院前とまるで違います。」

と説得し、面会することに。

妻はしぶしぶ部屋に入ると、首から4種類の点滴、腹部には持続皮下注射が繋がれ、2種類もの排泄チューブでベッドに寝たきりでげっそり痩せたBさんを見て、部屋に入ってから言葉を失っていました。後ろから私達は見守り

「声を掛けてあげてください」

と伝えると、

「久しぶり。調子はどう」

と声を掛け、Bさんはうっすら目を開け

「大丈夫だよ、ありがとう。」

と久々に話してました。

その後しばらく2人で話してもらったあと、訪問看護師さんとケアマネさんが部屋に入ってきて

「訪問看護師の〇〇です。在宅で待ってるからね!!家でのことは任せてね!!」

と声をかけると

「よろしくお願いします。」

とポロポロ涙を流して声を震わせながら返事をするBさんを見て、私も涙が流れそうでした。

ぐっと涙を堪え、お開きとなった後、連携室の看護師Aさんと訪問看護師さんに

「病院も家もやることは同じなんだったら、家で過ごした方がいいじゃない?」

という言葉をかけてもらい、たしかにそうだな。と思い、すごく印象に残ったカンファレンスでした。

その後、1ヶ月経った頃、連携室の看護師Aさんより、

「Bさん、家で家族に見守られながら亡くなったみたい。最後まで自宅で過ごせてよかったね。」

と残念なお知らせを聞きました。短い期間だったと思いますが、最後まで自宅で過ごせて本当に良かったと思います。連携室の看護師Aさんより

「患者思いの家族だったりすると、自宅で看取ると決めていても、いざとなると焦って救急車を呼んでしまって最後は病院で会いたい人にも会えずに最後を迎えてしまう人もいるんだけど、ここの訪問看護ステーションでお願いすると最後まで看てくれるから」

と言われました。

つまり、訪問看護師によっては、家族とのコミュニケーションや情報共有、信頼関係がうまく取れずに、焦って家族は救急車を呼び、病院に搬送されればそのまま入院になってしまって、その間にお亡くなりになってしまったり、面会制限があり、最後は会わせたい人にも合わせられなかったりするケースがあるようです。

DNAR(心肺蘇生を行わないこと)を取っているのであれば、病院に着いてから行う処置といえば点滴や膀胱留置カテーテルを挿入したり、医療用麻薬で痛みや呼吸苦を緩和するくらいで、実際にはこの処置は在宅でもできるのです。

病院に入院してしまえば、面会制限があったり、好きなものを食べさせることができなかったり、最後の時間を一緒に過ごせなかったりとデメリットは多くあります。

しかし、介護や死と隣り合わせの患者を看て心労が増えていき、限界を感じた家族であれば、病院に入院させたほうが安心ですし、家族の疲労も緩和できます。

在宅は絶対在宅で看取る!ということではなく、家族が希望すればいつでも病院に搬送できるよう連携も取れるのです。

以上の出来事から、次第に私は在宅看護で活躍する、訪問看護の世界に興味を持ちはじめ、

「在宅で過ごす患者たちはどのように過ごしているんだろう」

と疑問に思うようになりました。

元々私は大学生の訪問看護実習の際に、在宅看護に興味を持ち、基本的なスキルと経験を積む目的で急性期病棟の外科に希望を出して働いていたので、更に在宅看護に興味を持つきっかけになりました。

そして急性期病院は業務が多忙で重症患者も多く、患者にしてあげたい看護も病院では十分にできないこと、在宅看護の場で、最後までその人と家族がより良い形で過ごせるよう訪問看護師として寄り添いたい!と思い、大学病院を退職し、訪問看護師に転職することに決めました。

その他の理由に、通勤時間やワークライフバランスなども理由にありますが、やりたいことができたことが退職理由の大枠ですかね。

まとめ

今回は私が退職を決めた道のりの一部をお話しました。

その後も色々な経験をし、翌々年には大学病院を退職しました。

一人ひとり退職や転職理由は様々だと思うので、今回の私の経験が少しでも参考になっていれば嬉しいです。

長文お付き合いありがとうございました。

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